線路を左手にのんびり歩いていると、京王線が、つい先ほど下りた分倍河原駅へとゆるやかにカーブしながら向かっていって、またたくフィルムのようなその窓を見るともなく見ている間にも道のりはいつの間にか真っすぐになり、架道橋をくぐれば目的地はもう目と鼻の先だ。ビルは3階建てなのか、小豆色の壁には300~400mm四方の小さな窓があり、それを1単位とすれば、2つ横並びになった長方形の明り取りと、縦横4つ分ほどの大きな引き違い窓もまた規則的に配されていて、細い階段を上がった2階のループホール、スチールドアを開けたすぐ右手の白壁にもまた“窓”があった。
それこそが田中啓一郎さんの作品で、303mm×303mmの正方形に、厚さである30mmを足した値が、そのまま《636》というタイトルになっている。張られたキャンバス布の表面は鉛筆で精緻に塗られており、中央に現れた、一回り小さい正方形が黒々としているのに対し、周囲は濃いめのグレーで、キャンバスを裏支えする木枠があぶり出されているみたいだ。そして木枠の輪郭部分(すなわち、中央の正方形と、周囲の“枠”との境目)は、特に黒く縁取られている。
キャンバスの四隅を見てみると、一回り小さな正方形の横の辺2本を、そのまま左右に延長したような線が薄く見える。直に確認することはできないが、裏の木枠は、長めの角材2本を上下として、短めのもう2本が左右を支える形で出来ているようだ。
そこから一歩奥へ進むと、チャコールグレーの床はにわかに広がって、振り返ると、先ほどは死角になっていた壁、《636》の配された入口横の壁から直角に続いたそこには《3670 #2》が立てかけられており、題名どおり1820mm×1820mm×30mmの大作だ。正方形のキャンバスを鉛筆で塗っていくことは《636》と共通、というより今回の出展作すべてに当てはまるようだが、《3670 #2》の画面は3×3に9分割され、各正方形はそれぞれに異なる濃度で塗られており、
③⑥⑨
②⑤⑧
①④⑦
とすれば左下の正方形①がもっとも黒い。
2番目に濃く見える左上の③が銀光りして見えるのは、左手から、“正方形2つ分”の大きさの窓越しに外光が注いでいるからで、①③に挟まれた左中央の②は鈍色で、いったん黒く塗られた後、白鉛筆が重ねられたようにも見えたが、そうではなくてキャンバスの白さが奥から滲んでいるのだろう。木枠の輪郭もまた、白地が塗り残されることで縁取られているらしく、そこからさらに右横に並んだ2面、すなわち真ん中の⑤と右中央の⑧は、左列の①②③に比べればだいぶ薄いものの、それでもはっきりと灰色だ(⑧のほうが、⑤よりも少し濃い)。
9面のうち残り4面、右上の⑨、右下の⑦、そして中央列の上下⑥④については、下地の白そのままとおぼしき④から、⑥→⑦→⑨と少しずつ濃くなっていくようだが、それら4面のうちで一番濃い⑨ですら薄灰色で、前述した①②③⑤⑧と比べれば明らかに“白寄り”だ。キャンバス全体を見ると、黒と灰色のラインは、向かって左の“腕”を欠いた十字架のようだし、1面足りない立方体の展開図みたいでもある。
そして9分割された画面は、《636》と同じくキャンバスを裏支えする格子状の木枠の反映なのだろう。仮に木枠の幅を“1”とするならば、左列①②③の左辺や、最上段の③⑥⑨の上辺のように、隣り合う面が無い場合はその“1”の幅が均一に塗られている。しかし、隣接する面の間に位置する木枠については“0.5”ずつ塗り分けられており、そのため、すべての辺が別の面と接する真ん中の⑤が最小で、四隅の①③⑦⑨が最大、その面積差はどうやら木枠1幅分となるようだ。
向かって左から回りこんで裏面を見る。そんなことができるのは、《3670 #2》が、右上の角を壁へ預けるように立てかけられているからで、9分割の画面が予告していたように木枠は格子状になっており、キャンバスの各辺に当たる4本と、格子の縦軸2本はそれぞれ長い1本の木材で、横軸2本は短めの木材を3本ずつ繋げている…と思いきや、木目の続き方を追うとやはり長い1本らしく、格子の縦軸が被さるように組まれていたからそう見えただけのようだ。格子の交点には釘が2本ずつ、右肩上がりの斜線を描くように打ちこまれており、しゃがみこんで見上げていた視線を足下に向ける。
床と接するキャンバスの下辺と格子の縦軸には合印とでもいうのか、Aが1つずつ、全称記号(∀)のごとく床向きに書かれている。さらに頂点同士を貫くように線が引かれることで合わされ、ちょうど格子の真ん中を通っているように見えるそれが、ひるがえって、キャンバスに“あぶり出された”木枠の輪郭を二分する線、そしてその線を共有する面と面とを思い出させて、
[化粧垂木と]同じような例として、町家の表層によく見られる格子を挙げることもできるだろう。格子も、平安時代から建具(蔀)や天井などに用いられるようになったものであるが、資源の節約や軽量化という利点だけでなく、木の「構築性」を生かしながら「空間を覆う」というモティフの二重性が見てとれる。
このように「『組む』ことによって『覆う』」仕組みは、そこに別の魅力が発見され、さらに独特の空間意識が育まれたと考えることもできる。「組む」ことによって空間を覆う場合、その包囲面にはすき間が含まれる。つまり透明性が生まれる。包囲面が実際に見通せる場合、面の重なりを捉えることができ、空間の多層性を志向する「奥性」にもつながる。
(木内俊彦『なぜ、みんな格子が好きなのか?』より。森美術館 編著『建築の日本展 その遺伝子のもたらすもの』Echelle-1,p.61)
キャンバス布によって覆われた格子から向こうを見通すことはもちろんできない。しかし、緻密に重ねられた黒が痣のごとく浮かび上がらせた格子、そのすき間もまた(一回り小さな正方形として)可視化され、フォンタナが、キャンバスを切り裂くことで空虚を呼び込んだとすれば、田中さんは、画面自体を“空虚”に仕立て上げたのではないか。経糸と緯糸、それらが交わる組織点の隆起まで時に浮き彫りにする筆致は布の物質感を強調しつつも、それがかえって、四角く組まれた木枠の間、その“虚空”に向かって頼りなく張られた帆のようなものに過ぎないことを暴いていて(Expose)、黒く塗られた画面はむしろ、抜け穴(Loophole)のごとくどこか“奥”へと続いているみたいだ。
そして、暴いたり、あぶり出したりということは田中さんの作品に通底するのかもしれない。個展形式を採りつつ、アーティスト・大久保ありさんの短編小説との連動企画でもあった「'My answers' / ワンダーフォーゲルクラブに入るための良い答え、 もしくは、四千円を手に入れるためのまあまあな答え [田中啓一郎の応答]」の会場、縦長の廊内の中央に階段が据えられていたのは、奥半分の床が臍から胸のあたりまで高くなっているからだが、《3674-My answer #2》はそこに立てかけられていた。白一色の画面を注視すれば、染みこんだ雨だれのようなベージュがかった線が、30mmほどの幅で均一に走っていたけれど、キャプションいわく綿布らしいその生成りの風合いを塗り残しているようにも、白く塗った後に、細いヤスリかなにかで薄くこすり取ったようにも見えて、画面中央、やや右寄りのあたりでその“雨だれ”はくるんと弧を描いた。階段を上がって裏を覗きこむと、長さ1820mmだという木材が縦一列に30本以上すき間なく並べられており、どうやらそれらの輪郭を1本1本写しとっていたようだ。そしてちょうど、“くるんと弧を描いた雨だれ”にあたる木材には親指の腹ほどの抜け節があったけれど、支持体の四方からは、たっぷりと残されたキャンバスの耳が伸びており四隅のあたりはよく見えなくて、ループホールの、《3670 #2》の裏面を覗き込む視点に戻れば、やはりキャンバスの耳で木枠の角は隠されている。ただ、画面を走る鉛筆の濃淡から、縦の2本が、それらの幅の分だけ短い横2本を挟み込むかたちで正方形を成しているらしいことは見てとれて、田中さんの制作には、素材そのものの持ち味、たとえば木目の流麗さや、キャンバスの目地の均一さ…といったものを暴く、あぶり出す、引き立てる手つきが感じられる。そうした態度は、作品リストに、木材(松)・キャンバス布(麻)・タックス(鉄)…といった要領で素材を細かく列挙することにも表れているが、一方で、それは覆い隠したり、見せなかったりすることによって裏打ちされているのではないか。
たとえば、《3670 #2》でも《3674-My answer #2》でもそうだが、裏から覗けば木枠の木目を見ることはできるものの、キャンバス布と接する面の木目を見ることは当然できないし、ループホールの壁に掛けられた《636》の裏面を見ることも(一般の鑑賞者には)できない。そもそも、田中さんの作品においては“表裏”というのも自明のものではない、グループ展「On the Steps 2024」では、タイトルどおり《636》と寸法を同じくする《636 #24》~《同 #34》が、《1939》《1242》という別サイズの作品と接するように、1つの作品のごとく配されていたが、《636》シリーズの内4作品は“裏向き”に、すなわち木枠側が手前に来るように掛けられていた。しかし、それらを「裏側」と断言しかねるのは、木材の割れや、キャンバス布の折り目といった素材の個性を、あえて見せている雰囲気があるからで、しかし“裏を返せば”、キャンバスの表面は(少なくともその時の)鑑賞者には伏せられているということであり、府中市美術館の市民ギャラリーでも、《LJAOWCSBI 1848 #1》が“裏向き”に展示されていた。
Linen(麻)
Japanese cedar(杉)
Acrylic(アクリル絵具)
Oil(油絵具)
Wood screws(木ねじ)
Canvas Tacks[キャンバス釘(鉄、粉体塗装)]
Staple gun(タッカー)
Brass rod(真鍮棒)
Insect pin(虫ピン)
合わせて展示された《LJAOWCSBI 1848 #2》と、《LJAOWCSBI 1242 #1》および《同 #2》を含む4作品のタイトルに付されたアルファベットが、使用素材の頭文字であることもまた素材に対するこだわりをうかがわせつつ、塗り分けられた各面はもはや正方形ではない。右上に配された《LJAOWCSBI 1848 #2》の画面は、直角三角形と、“傾いだ屋根のお家”めいた五角形と、直角を1つだけ持った四角形に3分割されており、どうやら、裏の木材が格子状ではなく、長方形の画面の向かって左肩を袈裟切りにし、そのまま返す刀で右から左へ薙いだかのように配されているらしい。そして、分割されたその画面が縫い合わされたように思われたのは、面ごとに麻布の目地のつまり具合が異なって見えたからで、特に、黒く塗られた右上の直角三角形は目地が粗く布自体も薄く感じられて、それは絵具の濃度や、キャンバスのテンションによる影響かもしれない。3つの面は、キャンバスの張り具合もそれぞれに違っており、左上のいびつな四角形、麻の生成りそのままとおぼしきそのテンションを“普通”とすれば、下部の五角形は高めなのか、木枠の内側部分がデボス加工のように凹んでいるのに対し、黒い直角三角形はゆるく波打っていた。
壁の左下に掛けられた同シリーズの《LJAOWCSBI 1848 #1》は、踏み桟の傾いたハシゴのような木枠をこちらに向けており、
「麻布に水性塗料 Distemper on linen」と表記されるこの種の作品群を裏面から見ると、画布の布目を通過した絵具が、作品と同寸法の「反転図」を描き出しているさまが確認できる。ドイグは、薄く溶いた絵具を何度も重ね、時間をかけて作品を制作する。つまるところ、この裏面に浮かび上がる巨大な「反転図」=しみは、表から作品を鑑賞する際には確認できない第一層の描画の痕跡なのである。おそらく作家の意図を超えたところで、もうひとつの豊かな景色が作品の裏に表出していることになる。
(田口かおり『「裏」からピーター・ドイグの絵画を見ること』https://www.momat.go.jp/magazine/022,2025年8月8日閲覧)
同じく3分割された画面、その上部の四角形からは、「画布の布目を通過した絵具が、作品と同寸法の『反転図』を描き出している」かのように黒がにじみ、左の木枠には作品タイトルとサインもまた記入されていた。そして、それら4作品は真鍮のフックによって、壁から50mm弱ほど離されており、真横に立てば作品の裏(あるいは表)が垣間見られたのだが、その距離感もまた綿密に決定されたはずで、改めて田中さんは、何を見せ、何を見せないかということに対して極めて自覚的だ。
ぼくらはそもそも、
自分を咬んだり刺したりする本だけを読むべきではないだろうか。
僕らが読んでいる本が、
頭をガツンと一撃して、ぼくらを目覚めさせてくれないなら、
いったい何のために、ぼくらは本を読むのか?
本とは、
ぼくらの内の氷結した海を砕く
斧でなければならない。
(1904年1月27日に、カフカが友人のオスカー・ポラックへ宛てた手紙。頭木弘樹 編訳『カフカ断片集―海辺の貝殻のようにうつろで、ひと足でふみつぶされそうだ―』新潮文庫,p.222より孫引き)
と語られる「本」には、もちろん美術や芸術もまた代入することができるはずで、田中さんは作品という“斧”で、鑑賞者に勝負を挑んでいるのだろう。2023年のループホールへ舞い戻れば、《3670 #2》を左手から照らす横長の窓辺には、呼応するように縦303mm×横606mm×幅30mmの《939 #2》が置かれていた。分割された画面、その右面がほとんど下地のままらしい一方で、左面には薄塗りを施してあり、下辺の木枠沿いに裂けたキャンバスから、15時前の光がうっすらこぼれていたけれど、右隣りの壁面には《939 #1》が、今度は縦長に掛けられていた。その側面を見ると釘が5本打ち込まれており、しゃがんで底辺を覗き込めば釘は3本で、《3670 #2》と向かい合う面に掛けられた《1850》、910mm×910mm×30mmのその1辺には7本、《3670 #2》では13本…と、釘はおそらく、各辺の両端にまず1本ずつ、その後150mmごとに追加されていくらしいことも予想されて、こうして釘を数えていると、横長のキャンバス向かって右側、あるいは左側がスケートボードのアールのごとく90度湾曲した《1515 #1》や《同 #2》のように、釘の打ち込まれた側面が作品の真正面を向いていた(斜め横に立てば、持ち上がった裏面の格子も見えた)ことを思い出して、田中さんからの“挑戦”に応答していたつもりだが、それもまた彼の術中だったのかもしれない。
そして、《3670 #2》の向かって右横には《3670 # 1》があり、黒と灰色のラインが、十字架の右腕を落としたような画面は一見鏡合わせのようにも見えるけれど、濃淡の配置が異なっており、たとえば《3670 #2》では、
③⑥⑨
②⑤⑧
①④⑦
左下の①が最も濃く塗られていたのに対して、こちらの《3670 #1》では真ん中⑤が最も黒く、そして《3670 #2》では黒がちの3面が左の縦列①②③に寄っていたのに対し、《3670 #1》では中段の②⑤⑧が比較的濃くなっている。
しかし、《3670 #2》と向かい合う面に掛けられた《1850》、縦横に4分割されたその画面は45度の角度で掛けられていたのだが、白い下地そのままの1面が真上を向き、そこから時計周りに黒→濃いグレー→薄いグレーと推移する画面をぐるぐる回してみても《3670 #1》の配置と一致する箇所はない(黒と濃いグレーの面が反対になっている)。一方、《3670 #2》では左下の4面①②④⑤と濃淡の配置がおおむね一致し、同様に、黒白の面が縦一列に並んだ《939 #1》と、灰白色と下地の面が横並びになった《939 #2》の配置とも見比べてみると、これらについては《3670 #1》の⑤④および①④と、そして《3670 #2》の①④および⑦④と合致しており…といった具合にあれこれ回してみたくなるのも、《1020》や《1105》と題された作品、栞代わりに端を折ったページのごとく、キャンバスの角が木枠ごと“折れ曲がった”それらが、田中さんのInstagram投稿いわく“The work has no specific direction (Front or back. And also, top, bottom, left or right.)”であることとも通ずるかもしれない。
そして、ループホールの出入り口に掛けられた《636》、すなわち303mm×303mmの作品に始まり、303mm×606mm、910mm×910mm、1820mm×1820mmとサイズが拡大するにつれ、1面、2面、4面、9面と複雑さを増しつつも規則性を保ち、それによって相互に連関し、明快さすら感じさせるのはどこかバッハの音楽を連想させて、そしてこれらの数値を改めて眺めてみると、1尺、2尺、3尺、6尺(=1間)となっており、
一八二九年三月二十三日 月曜日
「私の持っている原稿類の中に」と今日ゲーテはいった、「建築はこりかたまった音楽だといっている紙を見つけたよ。じっさい、これは含みのある言葉だな。建築から流れ出る雰囲気というものは、音楽の効果に近いものがあるからね。」
(エッカーマン 著,山下肇 訳『ゲーテとの対話(中)』岩波文庫,p.98』)
(40)これは一八三三年にエッカーマンによって『箴言と省察』という標題をつけて『遺稿』第四巻に収められた。「こりかたまった音楽」という語はシェリングのものであるが、建築芸術と音楽との芸術的親和性を、ゲーテは若いときと同様、晩年にも感じていた。なお、ゲーテは、建築を「無声の音楽」と名づけている。
(同書p.396より訳注)
田中さんの作品もまた、松、麻、鉄…といった素材が奏でる「無声の音楽」なのだろう。〈了〉
注)本稿は、2023年6月13日にメディアプラットフォーム「note」で発表した『田中啓一郎さん「Expose」(ループホール,2023/5/13-6/4)』https://note.com/nozomu_h/n/n85f6fb30aae4 を改題ののち加筆修正したものである。なお、タイトルは、文中に引用したカフカの一節による。
備考)本文にて言及した展覧会の詳細は以下のとおりである。
〇「Expose」_田中啓一郎_2023年5月13日~6月4日_LOOP HOLE_東京都府中市美好町1-1-18 石川ビル202
〇「'My answers' / ワンダーフォーゲルクラブに入るための良い答え、 もしくは、四千円を手に入れるためのまあまあな答え [田中啓一郎の応答]」_原案執筆/大久保あり、出展作家/田中啓一郎_2023年2月25日〜3月12日_higure 17-15 cas_東京都荒川区西日暮里3-17-15
〇「On the Steps 2024」_新埜康平、安藤 菫、木本小百合、田中啓一郎、成山亜衣_2024年1月24日~2月3日_Steps Gallery_東京都中央区銀座4-4-13 琉映ビル 5F
〇「LOOP HOLE Pavilion」_秋山 幸、安藤由莉、池崎拓也、石井トミイ、石川 遼、今井俊介、今井貴広、今村 仁、EKKO、大久保あり、大槻英世、岡野智史、小川 泰、O JUN、小野冬黄、小山維子、金田実生、鹿野震一郎、岸本雅樹、木下令子、木村俊幸、ケ(旧hanage)、小嶋基弘、五嶋英門、小林史子(資料展示)、齋藤雄介、酒井一吉、佐々木耕太、佐藤克久、佐藤万絵子、清水勇気、下山健太郎、ジャンボスズキ、進藤 環、杉山都葵、五月女哲平、田中啓一郎、棰石憲蔵、寺内大登、なしの、塙 将良、林 菜穂、原 汐莉、Piotr Bujak、藤原優子、ホリグチシンゴ、松本菜々、水上愛美、光藤雄介、水戸部七絵、宮崎勇次郎、宮本穂曇、ミルク倉庫ザココナッツ、村上 綾、村上 郁、横田 章、渡辺 豊_2025年8月2~11日_府中市美術館 市民ギャラリー_東京都府中市浅間町1-3
〇「矢野口で逢おうよ」_齋藤雄介、ジャンボスズキ、田中啓一郎、鹿野震一郎、下山健太郎_2021年11月7日_YANOKUCHI STUDIO_東京都稲城市矢野口417 ※《1515 #1》および《同 #2》を展示
〇「同時期」_下山健太郎、田中啓一郎、村田 啓_2021年12月11日~2022年1月30日_アズマテイプロジェクト_神奈川県横浜市中区長者町7-112 伊勢佐木町センタービル3F ※《1020》および《1105》を展示
近くにアーティストランスペースがあるらしいと囁かれていたある日、私の活動拠点、似て非末吉に、出展者がフライヤーを持ってきてくれてた。
其処には【#20イタリアの三日月】アズマテイプロジェクトと記されていた。地図に沿って会場を目指し、ビルの入り口に着く。此処へ初めて来た者は誰もが感じるだろう、用が無ければ来る事は無いと。老朽化したビルのただならぬ空気圧。 会場は3階、階段を上ると多国籍のテナントがいくつかあり、営業している様子だ。
自分もこのエリアにはかれこれ12年暮らしているから外国人在留者が多いのには慣れている方だが、何か圧が違う。営業準備中の店の少し開いたドアの奥で、薄暗い客席に店の人が横になって寝ている。このまま進んで大丈夫か? でもあえて迷ったかの様に、その先の住居であろう玄関の前を通過して、更に上へ上がると、時間が静止したままの屋上に、通気口の風車がゆっくりと回っていた。ビルの階段や踊り場、経年劣化で剥がれた塗装の上を、電線が右往左方に壁や天井を這う。此処には、我々の身の回りの日常とは異なる時間軸があり、そんな場所にアズマテイプロジェクトはあった。
初めて観たその日の展示では、目線に入らない指向性スピーカーから、殺人を仄めかすストーリーを、女性の囁き声が耳元だけで語っていた。この会場の一室で実際にあった事なのでは? と思えるほど鑑賞者としての想像が場に重なる。
再び訪れると、世話になった知り合いの作家に20年ぶりに会えた(#22不在の向こう2021)。又ある日には、会場の既存の壁が隣りの会場に移動して宙に浮いていた(#23現われの場)。又その作品から連鎖された様に、此処ならではの新作をと、現場制作をするレジェンドがいた(#24闇の中の白い正午-不確定性正方形)。此処で数知れずの表現者達を観てきたが、あらゆる面でこのビルは各作家により切り取られ、異なる次元へ吸い寄せる引力があり、次作への展開を生み出す循環となっていたのではないだろうか?
「開発途上」
かなり昔の話で恐縮なのだが、1992年にドイツ冷戦後初のドクメンタ9(ディレクター:ヤンフート)を観に行った。1988年頃通っていたBゼミ(アートスクール)でヤンフートのキュレートしたシャンブルダミ(友達の部屋展)のスライドショーを見たことがあり、日常の町中で芸術を実践している様に影響を受けた事が、実は今の活動に至っている。しかしながらそこで見たドイツ(カッセル)の町では、芸術に関して理解の歴史が深く、人々に広く受け入れられている。まるで計画通り完成された姿が其処にあった。30年も前にもなるが、翻ってわが国は、それとは全く違う道のりを歩んでいると悟りながらも、一方で開発途上であることはすなわち、未完成の様態ゆえに計画通りには行かないのであり、そこには強い意思を持つ者達が居る、という事も侮れない。
「日常的に創造性が行き来する場」
そんな理想が常に頭の中にあるが、アズマテイプロジェクトに関わる作家や、その関係性には、そんな言葉よりも強い意志を感じる。あのビルは老朽化で壊されると聞く。町の風景の一部が又変わる。元の風景を知らない者は、何一つ気にも止めないだろう。自分も同じテーブルの上に居る者として、それは想定内ではあるが、「元何か」は常に移り変わり動いている。
あのビルの3階で行われていた目撃者の一人として、町の風景と共に、常に移り変わって行く彼らの存在は、人々の暮らしの中では不必要ながらも、世代や目的も違う者同士が交差するサードプレイスであり、理想的な場が現れた事に喜びを感じている。
「まさか自分の個人名がついた個展が開かれるとは・・・」ここで言う自分とは私、南條哲章自身のことであり、そもそも私はアーティストではない。長崎県諫早市に生まれ育ち、工学系の大学へ進学、就職し働いた後、現在は同地で妻と三人の子どもと暮らし、姉が園長の保育園を設立し、三代続く市議会議員の父親を補佐しながら、幼馴染の運営する美術予備校の補佐を行い、地元消防団や地域組合、青年団体へ参加するなど、地域と密着した生活をしている人間である。アズマテイプロジェクト(AZP)には立ち上げから関わらせてもらっていあるが、過去に参加したのは、農家や漁家の皆さんが育て上げた素晴らしい長崎県産品を「ナガサキケンサンピン」と題して来場者へ提供した#11「before sunrise after dark」のクロージングのみであった。そこに今回はじめて私独自の企画展示を行う提案をもらい、改めてAZPで何をしたいかと考えることになったのだ。よくよく考えた末、現在の仕事ひいては実生活にいたるまで、周囲の人々に助けられ過ごしていることに思い至り、「自分は何かを作るというよりは、何かしてもらうことが多い」そう正直に伝えた。すると、「では、メンバーが南條からお題もらって制作するのはどうか」と提案があり、それが「 各メンバーが 「南條哲章」 を制作する」という奇天烈な案へと発展し、最終的に「南條哲章展」を実施する運びとなった。東亭順、烏山秀直、田中啓一郎、酒井一吉の四人のメンバーが個別に南條の略歴を巻物に仕立て、個別でインタビューを行い、その略歴とインタビューからそれぞれが作品を制作する。巻物とインタビューも作品として展示されるうえ、メンバーそれぞれが製作した作品によって私「南條哲章」がどういう人間であるかを解体し、丸裸にする企画である。元はといえば自分から発した否定的で受身な発言、それを拡げてもらいユニークな企画が生まれる場に立ち会えたことの嬉しさと、経験がないため想像は出来なかったにせよ、間違いなく贅沢といえるだろうこの自分名義の個展が実現されていく工程には、多量な照れくささと異様な興奮を覚えたことは間違いない。そして展示を終えた今、予想を上回る贅沢とその内容について、「南條哲章」本人の立場から受けた刺激と感動を可能な限り多く残しておきたく、感謝を込めてレビューを書きたいと思う。
二日間の日程で行われた展示では、南條の半生が年表形式で綴られた巻物、個別で事前に行われたインタビュー映像、メンバーそれぞれによる作品「南條哲章」と共に、私の地元でありアイデンティティー=ナガサキケンサンピンの提供、AZP記録集の配布も行われた。入口すぐに計十巻の巻物、巻物の左手壁から天井付近に烏山作品、そこから奥へ進み談話スペースの壁に田中作品、ロフト部に東亭作品、さらに通路を隔てた別部屋3-C入り口正面に酒井作品があり、ナガサキケンサンピンとAZP記録集配布場所は同3-C右手奥に設置、インタビュー映像は各メンバーの作品付近のモニターに映し出される配置である。
巻物は一巻のみが広げられ残り九巻は積み重ねられているが、傍にある手袋を着用し手に取って読むことができる。中には南條の出生から現在までが記されている。私を含めたメンバー五名が各二巻ずつ、自身で制作した巻物に直筆で記入したものだ。この巻物制作、自分の中身や過去を記憶の奥底から掘り起こすという行為は、頭の中から湯水のように沸き出てくる記憶に対し敏感になる時期もあったが、素性を自ら吐き出す恥ずかしさだけではなく過去の自分を思い返す充実した感覚もあった。思い出が正確か不正確かは本人にさえ曖昧かつ有耶無耶なうえに思い込みの語句や誤字脱字だらけ、主語も抜けているような略歴原文となり、メンバー各位には暗号解読じみた苦悩を与えたことを大変申し訳なく感じている。出来上がった巻物を見た時は、自分の内部に記憶として留めているだけだったものにメンバーたちの手が加わり、「南條哲章」という人物が作品として具現化されたような不思議な感動があった。
作品制作の参考となる個別のインタビューについては、自分が思うままに答える姿勢を意識していたつもりだった。だが実際に展示された映像を客観的に見ると、全体に共通して言えるのは、インタビュアーに対してどこか自分の性格を出し慣れてなく、相手が言って欲しい答えを言おうとしているように見えた。感情のこもった発言をする場面では、即時に調子に乗った態度に映らないよう言葉を選びながらフォローする仕草が見え、その様子全てが「南條っぽい映像」として映し出されていて、恥ずかしいを通り越し新鮮な気づきをもたらす何かがそこにはあった。
AZPメンバー作品についてはそれぞれに思いがあり、出会い順に進めていきたいと思う。烏山くんとは、小学校3年生で同じクラスになったのが初めての出会いであった。現在もお互い地元諫早市に住んでおり、彼が代表の美術予備校、諫早造形研究室で事務と学科講師としてお世話になっている。烏山くんの作品はAZP廊下側壁面のインタビュー映像、反対側の壁の映像作品、そしてその上部天井付近に渡された2.3 × 1.6 mサイズの大きな旗『未来へ向けての寄せ書き旗』の3点である。インタビューは小学校、中学校時代に二人が通った登下校の通学路を歩きながら行われ、二人にしかわからない光景と会話だからか、畏まっていない自然体の「南條哲章」が引き出されてたようだ。撮影中、懐かしい人物との偶然の出会いや共通の話題で盛り上がり、歩きながらときに現在の二人と35年前の我々二人が入れ替わって会話をしているような錯覚を覚えた。『未来へ向けての寄せ書き旗』は、先述した予備校や保育園など職場の人々や親族、友達たちなどゆかりの深い方々と協同し制作されたもので、それぞれの立場の人々が応援、激励、要望などをポエム、イラスト、絵、文、さらに手形や足形までを一枚の旗へ描いた作品である。天井付近、部屋いっぱいに渡るように設置され、鑑賞者が自然と見上げる形になるよう展示されていた。その下の映像作品では、これもゆかりのある出演者たちが私自身も知らない「南條哲章」を語っており、様々な感情が胸の中で渦巻くものだった。父親が自分について語っている場面では訳もなく涙が出そうになった。自然体が引き出されているインタビュー、「南條哲章」の過去から現在までを知る家族やゆかりの諫早市民が南條の将来に向けて文字や絵でエールを表現した旗、そして南條について語る人々の擬似ドキュメンタリー風映像作品。我が人生の上下前後に立っている烏山くんにしか作ることのできない空間を感じ、未来へ向け南條は決心を新たにしました。
東亭氏とは、2014年に長崎で初めてお会いしている。以後、長崎へ烏山くんを訪ねて来る際にお会いする機会が多く、長崎の県産品についていち早く注目されたのも彼であり、議員である父の選挙ポスター制作にもご尽力いただいた関係である。ロフトに設置された彼の作品への階段を登り、入口にある緑のビニールカーテンをくぐって中へ入ると、外からの光がカーテンを通して差し込み、空間が緑に染まっていた。ソファーに座ると後方からギターの音色が聞こえる。正面奥では三台の扇風機が下から斜め上方向に旋回し、上部にある自転車カバーの内部へと様々な角度や量の風を送っていて、カバーは倒れそうで倒れない変化に富んだな動きをし続けている。その手前にインタビュー映像が放映されている。彼本人が長崎まで来て、諫早造形研究室のある諫早駅周辺や本明川、彼と南條にゆかりのあるお店前などで行ったインタビューの様子が編集されたもので、PCとタブレットを使っている。タブレット下部にタブレット画面が反射する角度で鏡が敷かれ、PCのキーボードにも見える。PCとタブレットと鏡の三画面にインタビュー映像が映し出されている。このPC機器関係や扇風機をコンセントから接続している電気ケーブルが数本、曲線や円など様々な形を作りながら床には見えた。東亭氏によると、南條の好きな色である緑が使われていること、地元諫早は有明海・大村湾・橘湾の3つの異なる湾に囲まれた珍しい土地であること、学生時代に自転車で本明川沿いを通り諫早駅前の塾へ通塾していた経緯もある自転車カバー、陸から飛び出せそうで飛び出せない動き、紆余曲折や慌ただしく地元で動き回っている様子などが表現されているのだった。映像内で本明川の水面に反射した映像が更に鏡に反射され、南條哲章の「初」個展に合わせ録音されたギターの音色も彼が「初」演奏した音色らしい。インタビュー映像とインスタレーション「南條哲章」とが多くの点で繋がっているのだ。作品に重要な動きをもたらしている配線、姿を変化させ続ける自転車カバーなどの姿は、次にどんな動きや形が生まれるのかと勝手に期待している自分自身と重なり、また「緑」「海ではなく陸の人」「初」「3つ」などのキーワードを聞いて自画自賛に浸りたいような気持ちを抱きつつ、愉悦。東亭氏が「南條哲章」に気持ちを向けてくれた事自体も嬉しく、南條と諫早の過去・現在・未来を想像させる映像や色や音が、視覚的にも聴覚的にも訴えてきて、ずっと浸っていたい心地良い空間だった。
本展示の企画者である田中氏とは、過去に1度だけ#11のナガサキケンサンピンでお会いしたが、それ以外はメンバーとの定例Web会議での会話が中心の関係である。その時の第一印象と今回のインタビュー、略歴から制作された「南條哲章」は、2つの平面作品『生姜』と『燃えた紙』であった。『生姜』は丸型キャンパスに描かれており、『燃えた紙』は金属製の額縁に囲われた長方形のキャンパス上に描かれていた。後者には「燃えた紙」が両脇にが描かれており、片方は描かれたもの、もう一方は実際に「燃えた紙」が貼られているもので、触らないとどちらが本物かわからない。なぜ『生姜』?なぜ『燃えた紙』?と思われそうだが、インタビュー映像や略歴を見ると作品へとつながっていることが判明する仕組みである。客観的に略歴を読むとその中で不定期に生姜好きアピールが無意識に主張されていたことがわかり、そんな無意識の内面を見つけられ理解してもらった様な気持ちがありどこか嬉しかった。『燃えた紙』は個人というより祖父の自営していた南條紙店のエピソードと関係が深い。作品と略歴とインタビュー、どれを先に知るかで作品そのものに対する印象も変わりる。一方の『燃えた紙』は祖父の南條紙店と融合しながら、不幸にも火事に見舞われた同店のエピソードと祖父の、いわばマイナスな側面をプラスへ引き揚げてもらったような感覚だった。インタビュー映像についてはメンバー中で彼が最初だった事もあり、こちらの経験の無さと時間配分や質問への答えを意識しすぎている様子が見てとれる。ここでもやはりそのぎこちなさが「南條っぽい」男として突きつけられる思いがした。田中氏と南條とは年代も出身地も育った環境も違い、AZP以外の共通する話題や情報が少ない中で「南條哲章」を解体し制作された作品からは、「制作する」ことそのものへの凄みを感じたし、企画者として展示空間全体の配置や流れなど様々な角度から考え個展を形作ってくれた真摯な思いが伝わってきた。
酒井氏とは、メンバー中唯一いままで実際にお会いした事がなく、上半身正面姿しか映らないWeb会議での印象しかなかった。そんな彼の作品が『南條哲章像』、大きな発泡スチロールブロックから熱線を使用して造られた全身像だ。木材で組まれた台座の上に段ボールを持ち直立しているため全長2.5mほどになるその巨大な作品は、銅像と見間違える様な着色を施されて3-C正面に設置されていた。南條像傍の壁には二人だけの初会話になったインタビュー映像、その反対側の壁にはスマートフォンが設置されてあり、像の制作中に興味を示し酒井氏へ謎の偉人ぽい人物「南條哲章」(台座に堂々たるネームプレートあり)について、反応や質問を繰り出すアトリエ近隣の住民たちとの会話の様子が記録映像として流れていた。一度も会ったことがないからこそ初々しさが感じられるやり取りのインタビュー映像や、南條自身「これは自分だ」と即座に認識した出来栄えの像は、実際の身長も後ろ姿も全身バランスもわからない状況で造られたとは思えなく、ほぼ無認知状態でイメージを形にすることのできるアーティストの凄さを感じた。また制作中の記録映像についても、制作者さえ会ったことのないモデル本人についてのこれも知らない者同士で生まれる会話や反応は、もう一人の自分が知らない土地で自己紹介をしているような錯覚を覚えた。実在するか、偉人なのかもわからないまま興味を示し続けられるそのやりとりは、名前と顔を覚えてもらう必要性を日頃考えている自分の職種にとっても画期的な光景だった。酒井氏が制作にあたって言っていた「いま現実に存在しない人の像を制作する感覚」、そして「今回は実在しているから答え合わせが出来る」という言葉。その後個展前日にAZPで初対面した時の「もう会ってしまった。心の準備が……」と驚いていた様子と、じっくりと全身を見られたリアクション。自分もつい有名人にでもなったかと錯覚しそうであった。展示終了後も街中に像を置き、一般人の反応を伺うなど、発想が面白かった。事前情報の少なさや不透明な状況を作品へと繋げ、起こった現象についても楽しんで変化させているように見え、来場者の像を介した反応には、展示中同じスペースで過ごした南條自身も敏感に反応していた。
同3-Cで同時開催したナガサキケンサンピンは、「南條が選んだものを本人が日頃食べている調理方法で食する」という企画であったため、料理経験の乏しい本人自らが調理と提供を行った。品目は季節の旬野菜を中心に、玉葱、じゃがいも、ニンジン、キュウリ、生姜(以上全て諫早)、大根、キャベツ、そうめん、麦味噌(同、島原)、ハム(雲仙)、アサリ(有明海)、南條家の梅漬け(実父特製)など。特別な調理方法もなくただ蒸す、焼く、煮る、と素材に頼った提供となったが、来場者の方々がおいしく食してくれ、長崎を語っていた。AZP記録集配布と受付を同時にこなしていたため、様々な関係者がナガサキケンサンピンを味わう形となった。中には略歴の巻物を十巻完読し、南條の過去を知る状態でケンサンピンを囲みながらマニアックな質疑を行う人もいた。自分が育ててはいないが本気で選んで持参したケンサンピンを食べ、喜んでくれる姿に「ありがとうございます」という言葉が素直に出て、巨大な像の横でまた何度も調理と提供へ入るという南條自身の一連の動きも作品になっていたのではないかと自負している。驚いたのは、地元諫早で好評だった毎年味が変わる南條実父によるオリジナル感覚派製法の梅漬けが、父の関係もゆかりもない場所でも好評だったことである。じつは南條本人もこれまで口にした事がなかった。これまで避けてきたしまた無理に食べようとも思っていなかったその梅漬けを、この南條展で初めて食べることになるとは。実際に食べると確かに美味しい。考えてみれば土地柄に関係なく皆に美味しいと言われる梅漬けも珍しい。この梅漬け体験を通して、南條家、そしてレシピなどを「受継ぐ」ということの意味を考えさせられる機会となった。
「第1回南條哲章展」はAZPメンバー全員が初めて実際に集合する機会だった。物理的にも心理的にも更に密になったことは間違いないが、メンバーひとりひとりが様々な角度から表現する作品を現場で体感したことが、自分について新たな発見をもたらす契機になった。どう見られているのか周りからの目を気にする性格と、第三者に自分を知ってもらいたい目立ちたがり屋的性格から出る感情から、今回のタイトルに「第1回」とついたことに次への期待を煽られるとともに、「欲しても得られない経験だろう」とどこか自覚している自分がいる。そうして心を揺さぶられることが嬉しい悩みにもなっている。展示開催前には当然南條という人間について知る由もなかった人、既知の人、名前だけは聞いたことのある人、様々な人がフライヤーやSNS、口頭でこの展示を知り、南條とは何かと興味を示してくれたと同時に、自分でも南條哲章とは何か、己れ自身を取り巻く環境とは何かを改めて、客観的に考える契機となった。自分が誕生する前から現在まで南條家と代々関係のある人々は、地元に生きる私のことを当然「南條哲章」個人としてではなく南條家一族の者として見る。今回、「南條哲章展」と銘打たれ私個人が取り上げたことは、地元の人達にとってみればなぜ?と困惑するはずだ。そんな環境に慣れた生活をしているために、親戚や親からさえ、自分が「南條哲章」個人というよりも「南條家系の一族」として見られていると思っていた。だが今回、映像作品に参加した親戚関係その他の話す内容や、父の自家製梅漬けの存在を通して、今までの自分を卑下する考えを否定し、自分自身が南條哲章という個を認める必要があると思い知った。「南條哲章」という文字、名前、性格、経歴、背景などが、アーティストたちの脳に僅かでも入り込むことが出来たことを思うと今でも嬉しくなる。自分を表現して暴露し、自分を解体されることで自分を知る機会を得、メンバーが集い一緒にやりたい事をやるこの空間で生まれた反応や感情に接して心理的な要素と物理的な変化が混ざり合い、そやって新しいものが生まれていくことにとても心を動かされた。疑問や好奇心を突き詰めて創作し、常に作品についての反応を想像し変化させていくメンバーたちの姿や作品づくりの現場を目の当たりにして、そのすごさに圧倒され刺激を受けてきた。展示を終えたいま、アートと関わる私自身の心境が受動から能動へと変化したことを実感している。この感覚は「作家(創作者)」の持っているそれに近いのではないかと感じた。そしてそれが南條自身の環境の変化として表れることとなった。アーティストではない自分が幼馴染である烏山氏から美大学科講師として声をかけてもらい、東亭氏と出会い、AZP立ち上げに関わり、いままでサポートや補佐の立ち位置で動いていたが、この個展をきっかけに自分自身にとって新たな教養を深めたい感情が芽生え、そして現在、美大生になったのだ。
南條と関係を持つアーティスト達により制作された作品とナガサキケンサンピンや記録集。そこに人々が集い、その人達によってまた変化していく作品。展示開始前から終了の今も続いている周囲の反響。情報収集や制作へ貴重な時間を費やしていただいたメンバー及び参加者への尊敬と感謝はもとより、作品を通して多くの人が受け入れてくれ、個としての南條哲章の存在を認めてもらえたような気持ちで満たされている。無かったものが生まれる空間を実際に肌で感じることが出来た本展は、過去と現在と未来を感じることのできる展示だったと確信している。少なくとも、南條の人生にとって一つの区切りと分岐点になったことは間違いない。プレビューにあるように本展が私へ向けた「創作行為によるAZPメンバーからの告白」であったとするならば、優柔不断なくせに我儘で頑固の八方美人な性格の私南條が出す答えは、「すべてを受け入れ皆と深くつき合いたい」という掟破りのものとなるだろう。最後に、アズマテイプロジェクトメンバーと本展に関わってくださった皆様へ感謝を申し上げます。ありがとうございました。
障子のような構造をした背丈より少し高い立体物が床に置かれていた。角材で綺麗に組まれた格子状の構造体に赤や白や濁色によってところどころ彩色された麻布が張られ、それが木枠の側面にキャンバスタックで等間隔に打ち付けられている様子から、それはキャンバス作品であり「絵画」であることを示しているように見えた。ただしこの立体物の片端は湾曲しながら麻布に綺麗な三次曲面を形作らせており、鑑賞者はその裏側まで自然と導かれることになる。他の作品もキャンバスの構造に手を加えながら同じように三次曲面を作らせていて、その張力の仕掛けを見せつけるかのように壁や床に展示されている。しかし、それらは表裏が明確に配置されており、冒頭の作品が明らかに質を異にするものだったという事がわかる。つまり、作品の表裏を問いかけるてくるように仕掛けられていたのだ。それは一見絵画らしい構造を保ちながら、窓から差し込む自然光が麻布の粗い織り目を通り抜け──絵の具によって光が遮られ陰となり──木枠の影を画面に落とし──描かれた図像以外の情報が多く舞台裏のような印象を持つものだった。木枠と画布の関係では表側であるはずの面が後ろ向きに配置されていたのだ。だがそもそも360度から鑑賞できるように作り配置されているこの作品は絵画に分類できるものなのか。かといって立体作品なのかと言えば絵画的要素の強さがその考えを受け付けようとしない。
私が企画した展覧会に田中くんはこれまで二度参加してくれた。紙の薄さや伸縮性を利用した作品や画板を分解して再構成したものなど、規格通りのサイズを用いた身近な素材にあえて手を加えた作品だった。どれも美術作品につきまとう完成までの長い道のりを示す手数や労力を極力感じさせまいとするある種職人のようなスマートさを感じさせ、禁欲的とさえ言えるものだった。この姿勢は本展の作品にも通じている。偶発的に生まれる絵の具の表情はほとんど見受けられず、画布を支える木枠の比率や寸法を基準に色面で丁寧に塗り分けられ、本来であれば画家の腕の見せ所ともいえる筆致をなるべく残さずひっそりと定着させている。また、作品タイトルは4桁の数字のみが並び、S2号~M300号といった規定サイズとともに数学的に表記されていた。
田中くんは以下のような文章を本展に寄せている。
「人は意味を決めること或いは知ることによって物や事の認識を共有可能にしているが、同時にそれは思考することも完了されてしまっている状態と考えている。そのような認識を表現の素材とし態度を変更することで、物や事との関係を再構築する。(後略)」
この「名前を与える前」の作品群は、既製品を分解し、本来の目的とは異なる形に成形していくという工程で生み出された物たちだと言えるだろう。それは、既にある物質や規定された物事の原則が留まる境界線上で、一旦宙ぶらりんの状態を獲得するべく細工を施し、創作物の立ち位置を開拓していく態度なのかもしれない。つまり、冒頭の作品[4378 / M300号]は、絵画という形式における画布を支える木枠のデザインから構想されつつも三次曲面を生み出すことによって表裏の関係を解体し、二次元から解き放つことを目的とした床置きのキャンバス作品なのであり、それを「どう名付けるか」を問うものだ。常に新しい視座の獲得を目指して彷徨い、画架を捨て、壁面からも逃れようとしてきた歴史、絵画という媒体の魅力。その実体を探求し続けて新しい表現を模索する美術家は後を絶たない。それは湧水が谷を削り大河となって大海を満たすという自然の営みにも例えられるが、実際にはあらゆる分野において横断を前提とした細分化が推し進められ、大海原からまだ見ぬ源泉をそれぞれが目指すようなふりをして河口あたりの汽水域で漂っているかのように映って見えはしまいか。だが今回の田中くんの展覧会からは、未だ見ぬものを生み出そうという純粋な姿勢が窺え、いつかその行為に名付けるのだという意志を感じた。それは、名もなき行為を目撃し記録していくという我々のプロジェクトの原点に通じるものだ。
彼のスタジオに幾度か訪れたことがある。
几帳面に整えられた工具や筆。
白い壁には小さな紙に描かれたエスキースがところどころに貼られている。
実験ピースは宝の原石だと言わんばかりに散らばり、
所狭しと並ぶ作品群はスタジオを飛び出していたるところに点在していた。
彼はいつもその場所で、挽きたての豆で美味しいコーヒーを淹れてくれる。
そして口早に制作の経過、新しい作品の構造
あるいは最近の出来事について話を聞かせてくれる。
その度に、ああ、この人間はつくることへのワクワクが止まらないのだろうなあ。
きっと言葉に言い表し尽くせないドキッとするような風景を存在させたいのだろうなあ。
と思わずにはいられなくなる。
田中啓一郎の生み出す作品は、360度格好が良い。
モダンな色彩もさることながら、木の年輪がつくりだす模様までもを味方につけ、
佇む場所によって作品は表情を豊かに変えてみせる。
彼の手作業の恩恵を受けた木材は、
木枠本来の働きを尊重しつつカタチを覚えていき、
さらに、風合いたっぷりの麻の地もここぞと纏わり付き、いざ成立へ向かう。
そこにすーっと伸びる彼等身大の筆致からは描くという行為への誠意を感じ取れる。
素材に向けるストイックな姿勢と心地のよい戯れに魅了されると共に、
作品の洗練された無骨さが彼の技量と人となりを強く教えてくれる。
飽くなき追求心はいつまでも美しい瞬間を追うのだろう。
それはわたしたちに美術への浪漫を思い出させる。
VIVIDORとはスペインのワイナリー、ボデーガス・アラーエスが醸造するワインの名称であり、その意味はこの展覧会のサブタイトルにもなっている「人生を謳歌する人」だと言います。本展はこの展覧会名のもと出品を依頼された29作家による映像作品展です。各出展作家はそれぞれアーティストとして活動していますが、映像をその主たる表現手段としていません。このレビュー執筆の依頼を受けた私はほとんどの出展作家から出品作についてのお話を伺いましたが、中には本展が初めての映像作品制作だという方もいらっしゃいました。さて本展もスマートフォンで一部や全編が撮影された作品が複数含まれますが、この15年ほどの間にスマートフォンが広く流通する事から写真撮影、そして動画撮影を行う機会と人口が世界中で爆発的に増加しています。そしてさらに撮影された映像の加工や編集作業も誰もが手軽で気楽に可能な状況へと年々変化して来ました。一方で、本展参加作家の年齢層にはやや幅がありますが、いずれも撮影習慣の普及よりずっと以前からテレビや映画などを通じて映像文化が生活に身近な世代であると言えます。それはつまり映像表現に関して皆が皆とても目が肥えているという事であり、様々な演出効果の知識が豊富であるという事です。29作家の29作品は実に多様ながらいずれもまさか映像をその主たる表現手段としない作家の手による物だとは思えません。ここに技術の壁はありません。29の作品は作り込まれた物から非常にシンプルに撮影、編集された物まで種々様々ですが、その技術の差が内容の本質的な差になるとは誰も考えてはいないように見えます。技術はほとんど空気のように存在を感じさせません。さて何か疾患を患っている方でない限り空気とはたしかに日常にその存在を主張してくるような物ではありませんし一見無色透明ですが、無個性というわけではありません。埃舞う廃屋の空気、雨の香る夕暮れ、からっからの砂漠の空気、険悪な会議室、風通しのいい友人関係、世の中には様々に表される空気がありますが、表されない空気もまた純粋に何も含まぬ透明ではきっとありません。本展フライヤーには「表現に対する探究が止むこともない。創作に没頭する喜びを手放すこともない。私たちはVIVIDORであり続ける。」というアズマテイプロジェクトからのメッセージが添えられています。参加作家はそれぞれ「人生を謳歌する人」であるというわけです。アーティストにとって謳歌とはその作品表現と言えるでしょうか。展覧会はコロナ禍で あり会場では窓が開け放たれていましたが、その空気は私たちの謳歌とは一体何に下支えされた存在なのかと問い掛け、作品と作品を繋ぐインターバルは私たちの人生の正体への直感を迫って来るかに思われました。展覧会が終わり、29作品を鑑賞し終えた今もまだ、インターバルはひっそりとその存在の大きさを増すばかりです。
VIVIDOR is the name of a wine made by a Spanish winery, Bodegas Antonio Arráez. According to their website, it means, “someone who enjoys life to the fullest and loves new experiences,” which is also the subtitle of this exhibition. The exhibition consists of video works by twenty-nine artists, who have been asked to create their contributions in response to the title. Video is not their usual medium. I interviewed most of the artists and found out that, for some, this is even their very first attempt at making video work. As you see, the exhibition includes many works shot entirely or partially on smartphone. With the spread of smartphones, the number of people and opportunities for shooting photos and movies has grown explosively over these past fifteen years or so. And year after year, the development of related technology has allowed us to process and edit movies more easily and freely. On the other hand, it can be said that although the range of the artists’ age groups is rather wide, all of them are of a generation who have already been familiar with visual culture in daily life, through watching TVs and movies, way before this casual documentation became mainstream. In other words, they all have critical eyes on visual expression and a wide breadth of knowledge about the effects of production. These twenty-nine works by twenty-nine artists vary a great deal in terms of expression, and it is almost impossible to believe that the resulting works are by artists whose main medium is not video. There is no technical barrier here. The twenty-nine works depict a wide variety of content, from plainly shot and edited submissions, to more elaborate fare. However, it would seem that none of the artists think that the quotient of “skill” matters at all. In fact, so called “skills” are almost like air in these works. Air won’t claim its existence and it’s something you are not aware of in daily lives as long as you don’t have any related disorders or sickness. It seemingly is colorless but it must have individuality. There are so many ways of describing air: dusty air in a deserted house, the familiar smell of petrichor in the afternoon, scorching air in a desert all adust, the stiff air of an ugly meeting, the cozy air between good friends, and even if you don’t have any word to describe a particular strain of air, I believe it must not be just colorless, but also possess some elements that can be tangibly felt. We have read the message from the Azumatei Project, emblazoned on the flyer, “Our pursuit of expression won’t stop. We won’t let go of the joy of immersion in creation. We will stay VIVIDOR forever”. That means every single artist in this exhibition is a VIVIDOR, someone who enjoys life to the fullest and loves new experiences. However, for artists, the gambit about expressing themselves in their works is whether just enjoying life to the full extent or not is still unknown. Appreciating the screening in the room, with windows wide open due to Covid-19 pandemic, I felt that the air was asking me by what our enjoyment of life is supported, and the short intervals between each videos pushed me to the edge of instinct in pondering what our lives truly are. Even now after the screening is over, the intervals are still increasing their presence secretly inside my mind.
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